|
「Sweet Lovesongs on LIPSTICK」 〜 Chapter1 真白編 〜 12 笑って、ラスベエ もっと宿題がたくさん出ればいいのに。 きっと、そんなことを考えてるのは、世界中でも、私くらいだろう。 お風呂を沸かして、それから夕飯を作る。 出来上がったら、部屋に持ち帰って、一人で食べる。 1階に降りて、お風呂に入って、洗い物をして、また2階に帰る。 我ながら、結構働き者かもしれない。 でも、それでもまだ、宿題が終わってしまうと、することがない。 教室でみんなが話してるドラマが見たいけど、下の部屋には降りたくなかった。 小さなラジカセ、テレビの音も入るけど、歌番組はともかく、ドラマはなんだかよくわからない。エッコに言わせれば、笠原耕太という人がカッコいいらしいけど、これじゃ、誰がその人だかもわからない。私のお気に入りは、いつもラジオだった。 半分英語の、インチキなディスクジョッキーには興味がなくて、でも、それは意味をなさない分、絶好のBGMだった。ぼんやりと聞き流し、次の曲を待ちわびる。 心地よい曲も、元気な曲も、退屈な曲も、落ち着かない曲も、みんな私の味方になってくれる。 たくさんのやさしい曲が、私の周りで手をつないで、輪になって踊り始める。 その輪の真ん中に、私が守られていた。 スピーカーの金網を爪ではじきながら、そっとラジオに祈る。 どうかこの夜が、平和でありますように・・・。 入り込むノイズ、破られる静寂。階段が軋む。 足元を一歩一歩確かめるように、ゆっくりと、音が、近づいてくる。 いつしか踊りは解散して、丸裸のやぐらの上に、私だけが、取り残された。 梯子が外され、ゆっくりと音楽が遠ざかる。 忘れられない事実。癒えない傷跡。 忘れたくない勇気。お母さんを、守るため。 お母さんの首に真新しいアザを見つけた夜、私は、あいつに詰め寄っていた。 なぜ、暴力をふるうのかと。 なんで、女の人に手を上げるのかと。 「だったら代わりに、オマエが、ヤらせてくれんのか?」 そう言った時の、下から見上げるような、あいつの目。 もう一月も前の事なのに、まるで鮮明に覚えている。 そして私は、首を振らなかった。 あいつをにらみつけ、それから、振り向かずに、ゆっくりと、階段を登った。 そして、あいつが、ついて来た。 その夜、私の中で、大切な何かが崩れ、 引き換えに私は、あいつの全てを、壊してやった。 たいした意味はない。ただ、それだけのことだ。 その日も、そして、今日も・・・。 「わかってんだろうな」 くだらないことを確認する男の顔面に、私はコンドームを投げつけた。 「てめえ・・・」 男が私の胸ぐらをつかみ上げ、そのままの勢いで、カーペットに押し倒した。 その手は、私の服を乱暴に弄り、引き剥がしにかかる。空いたもう一方の手で、ラジオのボリュームを大きくひねった。部屋中が特大の音楽で満たされ、私の部屋が、あらゆる世界から切り離された。 そんなにお母さんが怖いのか。そりゃそうよね、ここを失ったら、あんたは完全に一人なんだから。 圧し掛かる重さに、息が苦しい。酒くさい息が、私の耳元を、首筋を掃うたび、私の体を電流が駆け巡る。 逃げろ、跳ね除けろ、突き出してしまえ、全身の要求に、大きく首を振った。その代わり、眼鏡越しに思い切り睨みつけた。私の顔に平手が飛び、それでも、まだ睨み続けた。男は大きく舌打ちし、所在無く自分の服を脱ぎ始めた。 そうだ、不様に目を逸らせ。私はお前を認めない。愛さない。父親だなんて許さない。 下着を外そうと、背中に手を回してくる。興奮した手が見当違いに動き回ってまどろっこしい。それを跳ね除け、自分からブラを外して顔に投げつけてやった。 その怒りの反動で、もう一度強くカーペットに押し倒される。もう二度と、私の顔を見ようとはしなかった。睨み付ける対象がなくなると、私の体は、小刻みに震えだした。怖くなんかないはずなのに、いつものことなのに、どうしても、抑えることができなかった。 あいつの唇が、私の乳首を弄り、その手はいつしか、股間に指を這わせていた。生まれ出る不快が、うねりのように全身を這いまわり、凍りつかせ、血が出るほど唇を噛み締めて、ただ耐えることだけが、私の全てになっていった。 これでいいんだ。私さえ我慢すれば問題ないんだ。こんなやつのために泣くのは、私一人で十分なんだ。 男は、私の震えを感じ取り、下着が染みるのを認めると、勝ち誇ったようにもう一度私を見据えてきた。 「何よ・・・もう、十分でしょう。さっさとして・・・」 「生意気いってんじゃねえぞ、ガキが」 ああ、そうよ。私はどうせ、彼氏もいない、キスもしたことない、ただのガキよ。だったら、そのガキの体にしがみ付いて、股間を膨らませてるあんたはなんなのよ。都合のいいときだけガキ扱いして、俺はお前とも仲良くやっていきたいなんて嘯いて、そのくせ、女として私を求めて、組み伏して、私の中で精液を垂れ流しているあんたはなんなのよ。 男の目つきが、終盤へと向かう。ついに、私の"最後"が剥ぎ取られ、何もない私が晒された。両足を大きく開かされ、最後の扉を、2本の指でさらにこじ開ける。流れ出る液体を、私は自衛だと言い聞かせ、男は歓迎だと理解した。 そして男は、私に割り込んできた。 長く短い不快は、機械的に流れてゆき、やがて男は、私とを隔てるゴムの中に放って倒れこんだ。 汗ばんだ体は、力が抜けて一層重たさを増し、それでも私は、闘いぬいた体にムチ打って、男を思いきり跳ね飛ばした。タンスに頭をぶつけ、両手で抑える男の局部から、私を守ってくれたコンドームを強引に引き抜き、ティッシュに包んでごみ箱に投げ捨てた。 「・・・出てって、用が済んだらさっさと出てって! お母さんに見つかっても知らないからね!」 男を無理やり廊下に転がし、着ていたものを投げつけて、襖を閉ざした。 私はしばらく、裸のまま座り込んでいた。何もする気が起きなかった。ベッドに上がるのも。服を着るのも。 だんだん寒くなってきて、ベッドから毛布を引きずり降ろして、ガウンのように体を覆った。 もう泣かないって決めたのに、やっぱり止められなかった。私は慌てて、ラスベエを探した。尻尾を掴んで抱き寄せると、とたんに、涙が溢れてきた。 大きなワニのぬいぐるみ。私が子供の頃、大好きだった男の子が、引っ越していくときにくれたものだった。私は2週間くらい、ほとんど毎日、ラスベエを抱いて泣いていた。 私はよく泣く子供だったけど、ラスベエは、いつも私の味方だった。ラスベエに顔を押し付けて、涙を吸い取ってもらうと、それだけで、心が軽くなったような気がした。ケンカした友達とは、明日仲直りしようと思ったし、できなかった逆上がりは、今から公園に練習しに行こうと思った。ラスベエは、何事もなかったかのように笑っていて、私が笑って帰ってきたときには、いつももう、すっかり乾いていた。 私が大きくなって、あまり泣かなくなって、かわりにラスベエは小さくなって、それでも、いつも笑っていた。 ゴメンね、私、こんな歳になって、まだ泣いてるの。 ラスベエの背びれに顔をこすりつけた。涙は、どんどんと染み込んでいき、口からこぼれる嗚咽も、みんな吸い取ってくれた。 ラスベエは、きっとそのときも、笑ってくれていたと思う。 バカだなあ、真白は、なんて言って。 つづく |