「Sweet Lovesongs on LIPSTICK」  〜 Chapter1 真白編 〜

   19 20世紀のコカ・コーラ(4)

「誓約書を渡されたことで、借金の主は、リーダーから売人に移った。もともと100万円って額だって、何の根拠もあるわけじゃなかったけど、ここに至っては、ついに確定しちまったって感じだな」そう言って、リカは大きく首を振ってうな垂れた。「あたし・・・ホントバカだよね・・・」
「そんなことないよ、リカはリカで、精一杯だったんだから。私だって、きっとそうしてたよ」
「うん、ありがとうな・・・」でも、リカはまだ下を向いたまま「でもさ、ほら、あたしは、マシロみたいに頭良くないから・・・」
「そんなこと・・・」
「・・・あたしさあ、領収書、書いてもらってなかったんだよね・・・」
「?」
「つまり、あたしの借金、一銭も減ってなかったんだ」
「!」
「・・・それに気付いた時、なんかもう、どうでもよくなっちゃってさ。今日から俺の女だ、なんて売人に手を引かれて、そのまま、ついて行っちゃったんだ・・・」

男は、あたしを連れて自分のマンションに入り、俺は酒は飲めないからと笑ってコーラを持ち出してきた。なぜか2人で乾杯した。あたしはなんだかその笑い顔に拍子抜けした。その男は、どっからみても、ただのおっさんにしか見えなかった。悪い人は、一見そうは見えないと言うけど、こいつの場合は、それを差し引いても、まだ、そうは見えない。
異変が起きたのは、それから30分くらいしてからだった。男の手が、あたしの体に伸びてきて、それ自体は、覚悟していたことだったから、でも、それよりもっと大変な事態は、あたし自身の体に起きていたんだ。
体が震えだして、嫌な汗が浮かんで、手足が氷のように冷たくなる・・・まるであの時と同じように・・・
「まさか、それって!」
「・・・ああ、そのまさかだ。考えられるのは、そのコーラしかない。注射ほどは早くないけど、シャブは飲み物に溶かしてもよく効くんだ」
「ひどい・・・なんでそんなこと」
「思い出しちまった、あの忌まわしいこと。全部思い出しても余りある、ホントに絶望的なフラッシュバックだ・・・」
「情けねえ男だろ、ヤクザ気取って売人なんかやってるくせに、クスリ盛らなきゃ、女も抱けねえんだ・・・」いつの間にか終っていたラジカセを、もう一度鳴らすように言う。どこか話を逸らすように「でも・・・情けねえ女だ、結局、そのクスリに負けて、男に抱きついちまったんだから・・・」

あたしはホント情けないよ。男に、ここにいてくれれば金は返さなくていいなんて言われて、そのままなんとなく、マンションに住み着いちまったんだ。
週に一度くらい(中年男なんてそんなものだろ!)セックスはするけど、あとはただ、ボケーっと過ごしてればいいだけ。男は、普段は個人タクシーの運転手をしていて留守だったから、逃げるチャンスはいくらでもあったはずなのに、あたしはそうしなかった。だんだんそこでの生活にも慣れてきて、時々は買い物なんかに出かけて、男のために夕飯なんか作っちゃって、おかえりなんて、ホントバカ。
理由は、わかってるんだ。金を返さなくていいのが助かるとか、ひょっとすると男のことを好きなのかもしれないとか、うん、それも否定できないけど、でも、最大の理由は・・・間違いなく、クスリ、だったと思う。
あたしは、男がセックスの度にあたしに使うシャブに、いつのまにか、ハマっていた。
最初は、男に抱かれるための言い訳だと思っていた。でも、そのうち、それが無いことが不安でたまらなくなって、やがて、抱かれるときは自分から求めるようになっていた。量が徐々に増えて、ジュースよりも早い注射を選ぶようになって・・・

リカが部屋着のズボンを下ろして、私に太ももの内側を見せた。その光景、血管にそってびっしりとならんだ注射の跡に息を飲む。トモがその傷跡を、愛しそうに手で触れた。
「ひでえだろ?これがクスリにはまった女の末路だ・・・」
「トモは・・・知ってたの・・・?」
「・・・うん、でも、そんな理由があったなんて、全然・・・」
「そんな生活が、半年も続いた頃かな。あたしのもとに、雅也が仮出院するって話が聞こえてきた」
「そうだよ!雅也ってのはどうしたんだよ。そんな男にやられてる場合じゃねえだろ」
「ああ、あたしもすっかり忘れてたな。思い出したように(って、変かな?)あたしはマンションを逃げ出した。といっても、窓から飛び降りた!とかじゃなくて、カギをかけて外に出ただけだけど」
「あたしは、雅也に手紙を書いた。いつ出てくるかわからなかったから、とりあえず、それを実家のポストに入れた。ただ一言、"会いたい、いつもの公園に"って書いて」
「それからは、もうホームレス。帰るところもなかったし、昼間は公園で寝て、夜は寒いから起きてる。男の部屋から持ち出したお金が少しだけあって」
「雅也さんは、来たの?」
「ああ、2週間もたってからだけど、ちゃんと来てくれた」
「よかったね、手紙、見てくれたんだ」
「・・・そうだな」

蒸し暑い夏の夜、あたしたちは、ほぼ、1年ぶりの再会を果した。お互いあまりにも待ちくたびれて、だから劇的な再会というわけではなかったけど、それでも、人影の無い公園で、あたしたちは強く抱き合い、永遠に続くようなキスをした。ベンチに腰掛け、雅也にもたれ掛かるように身を倒すと、なんかもう、あらゆる感情が全て洗い流さたかのように真っ白になって、なんの憂いも無い、ただの体になれたような気がした。手をつないで、目を閉じて、雅也の言葉を全身に浴びていく。
雅也は、自分の体験してきたことを、どこか得意げに話し続けた。2回も自殺を図ったこと、幻覚とか、発作とか、何でも聞いてくれたお医者さんのこととか、一緒にクスリを乗り越えた仲間のこととか。 あたしはあたしで苦労していたし、でも、雅也は、少年院でクスリを断ち切るために、それこそ悶えるような苦痛に耐えてきたんだ、あたしの苦労なんて、笑い話程度でしかないのかもしれない。
やがて雅也の話も途切れ、あたしたちは、ゆっくりとお互いの体を求め始めた。
外だってことも気にしない。待ちつづけた雅也が目の前にいる。あたしたちはお互いの体をさらして近づいていった。
雅也の顔色が変わったのは、あたしの・・・そう、太ももの注射痕を見たときだった。
「お前、これどうした!」
あたしも、苦労したんだよ。そういって、今度はあたしが話す番だった。もう、何も隠すこともない。全てを話した。全てをさらした。雅也は、全身を震わせて、涙をこぼして、あたしは雅也に、もう大丈夫だからってキスをしようと顔を近づけた。うつむいた雅也を無理やり引き起こすように。
その時、雅也はあたしの体を思いきり突き飛ばして立ち上がった!
「てめえ、俺がいない間に何してやがった!」

あたし、何が起きたのかわからなかったよ・・・ ただ、目の前には両肩を震わせてあたしを見下ろしている雅也がいて、でも、手を伸ばしても、二度と答えてくれなかった。
何か叫んでいる。涙までこぼして、両足を踏ん張って、でもまるで、あたしの存在全てを嫌がるように、目をそむけ、何事か大きな声で罵りまくる。あたしは、雅也が大きな声を出せば出すほど、何を言ってるのかもだんだん聞き取れなくなって、頭の中真っ白になって・・・そのうち雅也は、あたしには分からないおかしな外国語を話し始めて、街灯の明かりに彼の姿は飲み込まれて、でも声だけは辺り中からあたしを責め立てて、地面は歪んで空は昼間みたいに明るくて・・・今日はシャブなんか打ってないのに、今まで見た中でも、最低の悪夢だった。
でも、この悪夢は現実なんだ。切れる分だけ、クスリの方がマシかもしれない・・・

「今になって思えばさ、雅也も、ショックだったんだと思うよ・・・。自分は、1年も冷たい監獄の中で、クスリを断ち切ろうと戦ってきたのに、待っててくれるはずのあたしが、その1年で、クスリ漬けになって他の男と同棲してたなんてさ・・・」
「リカ・・・」
「結局、あたしはまた、売人のところに戻った。他に帰るところもなくて。彼は、あたしが逃げ出した事も、お金を持ち出したことも咎めないで、ただ少し乱暴に抱いた。シャブ無しでセックスしたのは、後にも先にも、これ1回きりだ。あたしは、彼に愛されているのかな、でも、それを確認することもできずに、次からはまた、シャブ打ってセックスのスタイルに戻っていた」
「やめようとか、思わなかったの・・・? だって雅也さんは、1年かかったけど、やめられたんでしょ」
「もうなんかあたし自身、どうでもよくなってたんだ。クスリってやつは、まずそういう神経からやられちまうらしい。もうこれ以上、やりたいこともないし、このままクスリ漬けで死んじまってもいい、なんてな。だから、しばらくして、男が逮捕されて、部屋に刑事が押し込んできたときも、なんかもう、他人事みたいに興味が無くてさ。素直にお縄を頂戴しますなんて感じだったよ」
「ところが、あたしはその時、補導も逮捕もされなかった。かわりに、保護ということになって、警察に連れて行かれた。・・・あいつがさ、あの男が、最後にあたしをかばってくれたんだ」
「あいつの容疑は、覚せい剤取締法違反。でもそれ以外に、あいつはあたしを監禁したと供述したんだ。略取、監禁、暴行、傷害、あいつが自供を重ねた分だけ、あたしはどんどん被害者になっていった。なんでそんなことしてくれたんだろ、出るの遅くなるってのに、かっこつけやがってよ。あたしはいつのまにか、売人に脅迫されて監禁されて、クスリ漬けにされていたことになっていた。まさに悲劇のヒロインだよ、マンガみたいだろ?」
「じゃあ、リカはお咎めなし?」
「いや、あたしは、自分からクスリを打ったことだけは認めたから、その容疑では逮捕された。注射器からは、あたしの指紋しかでてこなかったからな」
「あたし、捕まりたかったんだ、他に行くところなかったし、あいつなしで、クスリなしでやってけるか自信なかったし、それで、雅也みたいに少年院に入るつもりだったんだ。だから、自分から逮捕されて、一ヶ月鑑別所に入れられて、でも、結局ホゴカンで出されちまった。お前はもう大丈夫だ、なんてわかったようなこと言われてさ。でも、それでもあたしが抵抗しなかったのは、きっとどこかで、少年院が怖かったからなんだろうな。あんなところ、できれば行かない方がいいに決まってんだ」
「・・・うん、でもリカは、少年院に行かなくても、クスリを止められたんだね」

   つづく
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