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「Sweet Lovesongs on LIPSTICK」 〜 Chapter1 真白編 〜 32 イレース マイ・・・ 「真白、入るわよ」 机でぼんやりとCDを聴いていたら、突然、後ろから声をかけられた。 あわてて机の上の紙を引き出しにしまったところで、襖が開く。 パジャマの上から半纏を羽織った格好、お風呂上りなのだろう、頭にはカーラーが巻かれていた。 「どうしたの? もうお店終わり?」 「うん・・・こんな天気じゃね、お客さん、もうみんな帰っちゃったわ・・・」 「そう・・・たまにはいいよね」 「毎日じゃ困るけどね」 そういえば、夜半から降り始めた雨は、さらに激しくなってきたみたいだ。ラジカセを止めたら、窓に打ち付ける雨音が急に大きくなった。 「どうしたの? 2階まで上がってくるなんてめずらしい」 「おじゃまだったかしら?」 「そんなこと言ってないって」 「こういう時でもないと、真白とゆっくり話す時間もないと思ってね」 お母さんは、ベッドに腰掛けて、膝の上に私の枕を抱え込む。なんだかその仕草が急に懐かしい、私も立ち上がって、お母さんの隣に座った。少し甘えるようにもたれかかると、微かにお酒の匂いがした。 2人きりだった頃は、よくこうやって、夜遅くまで話していた。そのまま後ろにひっくり返って寝ちゃって、気がついたら朝だったなんてこともあったな・・・。 あの頃と違うのは、私の背がお母さんに追いついたことと、それから・・・隠し事ができたこと。 私だけのお母さんではなくなってしまった気がして、いつのまにか、話せないことが増えてきて・・・ 「どう? クラブ、頑張ってる?」 「あ、うん・・・」 「毎日あんな遅くまで頑張ってるのに試合に出れないなんて、みんな相当うまいのねえ」 「ゴメン・・・最近ちょっと遅いよね・・・」 ごめんなさい、本当に謝りたいことは、ウソをついてること。 「いいのよ、どうせ終ってからお友達と遊んでるんでしょ、大事よ、そういうの、家のことだったら、私一人でもなんとかなるし、心配しなくていいわ」 「うん・・・ありがとう、出来るだけ早く帰ってくるね」 「大丈夫よ、でも、明るい道通って帰ってくるのよ」 あのね、お母さん。私、テニス部、辞めちゃったんだ・・・ 「真白はそういう所、私に似ちゃったのよね・・・あの人は、スポーツも勉強も、なんでもできる人だったから」 でもね、聞いて、私、すごくいい友達ができたの。リカとトモっていう、ちょっと変わった2人なんだけどね、一緒にいると、すごく楽しいの。 「でも、頭がいいのはお父さんゆずりなのね。本当はもっといい学校にだって入れたはずなのに」 この2人はね、今までの友達とはちょっと違うよ。一人はアル中で、一人はヤク中、それで2人は婚約中! ね、私の友達だなんてウソみたいでしょ? 「ねえ真白、あなた、大学に行きたいなら行ってもいいのよ。お金の事なら気にしなくていいわ、少しなら貯金もあるし、その頃には、お父さんも仕事が見つかってると思うから。真白はイヤがるかもしれないけど、あなたの人生なんだから、そんなこと気にしてる場合じゃないわ・・・」 今はね、リカと2人で、トモの断酒作戦を決行中なの。おっかしいよね、トモってば、まだ中学生なのに。でも、事態は結構深刻だから、私もリカも本気だよ。 「・・・真白、聞いてるの?」 「えっ?! あ・・・うん、ゴメン・・・」 「なにボーっとしてんのよ・・・、自分のことなのよ、もう3年生なんだからしっかりしなさい」 「ごめんなさい・・・」 「どうなの? 大学に行きたいなら、そろそろクラブはお休みしてもいいわよ。家のことも程々にして、そろそろ勉強も始めた方がいいんじゃない?」 「私・・・大学なんて・・・」 「あの人と離婚しちゃってから、真白には随分苦労かけちゃったわね・・・、いろんなこと我慢させちゃって」 「そんなことないよ、私、お母さんと一緒にいられて、すごく楽しいんだよ。そりゃ、お父さんがいないのは少し寂しいけど、でも、仕方ないよね」 「でもね、私も今のお父さんと再婚して、これからは真白にもあまり負担をかけないようにやっていこうと思うの。お父さんだって、早く仕事を見つけて、父親として認めてもらいたいって・・・」 「やめて!そんな話」 「・・・・・・」 「あの人はそんなことこれっぽっちも考えていない!」 「そんなことないわよ、今日だってちゃんと職安に・・・」 「じゃあ、真剣に仕事を探してる人が、どうして昼間っからお酒飲んでるの?! あの人はね、仕事なんか探す気ないのよ。どこにも行くところがないからここにしがみ付いて、タダでお酒飲んで、お母さんに手を上げて、そんな人に何を期待しろっていうのよ!」 「真白、お願いだからそんな言い方しないでちょうだい・・・」 「私、卒業したら、すぐに働くよ。ちゃんと働いて、まずはこの家の借金を返す」 「真白はそんなこと気にしなくても・・・」 「お母さん、私知ってるんだよ。ここのところ毎月、銀行の人が集金に来てる事。前はこっちから払いに行けばよかったのに、あの人の会社が倒産して、取り立て、厳しくなってるんでしょ」 「・・・そうね、でも、今はちゃんと払えてるわ・・・」 「今は、でしょ。あんな人がお店に居座って開店前から酔っ払ってたら、いつかお客さんなんて一人も来なくなっちゃう! このお店だって、潰れちゃうわよ、あいつの会社みたいに」 「真白、なんてこというのよ。あれはね、お父さんが悪いわけじゃないの。下請けの工場はね、親会社が倒れたらどうしようもないのよ。そのくらいわかるでしょ!」 「わかんない!わかりたくなんてない! じゃああいつの工場で働いてた人たちはどうなったの?倒産したのはあいつの工場だけ?違うでしょ?じゃあ他の工場の工員さんや社長さんは?それだけじゃない、その親会社で働いてた人たちだって、みんな一度に職を失ってるんでしょ? その人たちはどうしてるの?みんな全員、あいつみたいにどうしようもない酔っ払いになっちゃったの?!」 「真白、少し落ち着いて・・・」 「結局あいつは、お母さんに甘えてるだけなのよ。お母さんが甘やかすのもよくないんだからね!」 そこまでまくし立てて、初めて、私はお母さんを追い詰めてしまっていることに気がついた。 「・・・ごめんなさい、私、こんなこと、お母さんに言っても仕方ないのに・・・」 「・・・ううん、いいの、真白の言ってることは正しいわ、私も良くないのよね、つい甘くなっちゃって。わかったわ、明日もう一度、仕事探すようにお父さんに言ってみるわね」 「そんなこと言ったら、また・・・」 「大丈夫よ、機嫌のいい時を見計らって、うまく言っておくから。だから真白は、もうそんなこと心配しなくてもいいのよ。お金の事は、お父さんと2人でちゃんと解決するから。あなたは安心して受験勉強しなさいね」 「私、だから大学は・・・」 「就職なんていつでもできるじゃない。だから、少しでもそういう気持ちがあるなら、今は受験勉強をしておいた方がいいわ、そうでしょ?」 「・・・・・・」 「じゃあ、私、寝るわね。真白も早く寝なさい、明日も早いんだから」 「うん・・・」 「真白がそこまで考えていてくれたなんて、正直、ちょっと驚いたわ。ありがとう、でもね、これは私とお父さんの問題だから。あなたはもう、あなたの事だけを考えていていいのよ、ね?」 「・・・・・・」 「じゃあね、おやすみ」 「・・・おやすみなさい」 お母さんの足音が、少しずつ小さくなって、入れ替わるようにまた、雨音が大きくなった。 ゆっくりと机の引出しを開いて、さっき隠した紙をまた机の上に置く。 "第5回進路希望調査 3年A組 井川真白" すでに書きこんである自分の希望、その7文字をしばらく見つめて、それからゆっくりと消しゴムを押し付けてゆく。 消えていく"調理師専門学校"の文字と引き換えに、自分の未来が、また少しだけ黒く滲んだような気がした。 つづく |